Marsden Hartley
マースデン・ハートレー
マースデン・ハートレーは、はじめは19世紀アメリカ絵画を代表するウィリアム・メリット・チェイスに学び、正統な美術教育の出身者として古典的な絵画を描いていた。しかし、ヨーロッパで前衛芸術の胎動に直接触れると、次第に自身の方向性を変えっていく。
そして、アメリカに帰国。アルフレッド・スティーグリッツとの出会いにより、これまでの作風から完全に前衛的な現代絵画へ向かっていくのである。
5|スティーグリッツが見出した画家、マースデン・ハートレー
チェイスの教え子としてのハートレー
マースデン・ハートレーは、19世紀アメリカ絵画を代表するウィリアム・メリット・チェイスに学んだ、正統な美術教育の出身者だった。このチェイスは、ヨーロッパで培った技術や感覚をアメリカに持ち帰り、Art Students LeagueやNew York School of Artを通じて多くの若い画家を育てた人物である。その教育の流れは、のちにパーソンズ・スクール・オブ・デザインへと受け継がれていく。まさか、ここから将来、トム・フォードやマーク・ジェイコブスといったファッション・デザイナーたちが巣立つことになるとは、チェイスも想像だにしなかったであろう。そのくらい、19世紀のアメリカは、保守的な美術にいまだ止まっていた。
さて、ハートレーはそうした制度の内側で絵を学び、描くための技術と基礎を身につけた。つまり彼は、ヨーロッパで始まっていた新しい芸術が、まだアメリカで十分に理解されていなかった時代の中で、美術教育を受けはじめた。
だが、ハートレーはアメリカにとどまらなかった。20世紀初頭、前衛美術が生まれていたのはパリやベルリンであり、アメリカにはまだ、それを受け止める言語や評価の枠組みが整っていなかったからだ。ヨーロッパへ向かうことは、逃避ではなく、同時代の芸術がどこまで進んでいるのかを自分の目で確かめる行為だった。
ハートレーはそこで、キュビスムや抽象的表現に触れ、絵画が写実から離れていく可能性を知る。ただし彼は、完全にヨーロッパに同化することはなかった。アメリカで培った感覚を携えたまま、外の世界で新しい表現の言語を獲得していったのである。
が示されている。

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6|291という実験場がつくったもの
ヨーロッパでの経験を経たハートレーが、アメリカで再び接続された場が、スティーグリッツが作った291 galleryだった。291は、完成された作家を展示するための場所ではない。むしろ、まだ整理されていない試みや、途中の実験をそのまま提示する空間だった。
ハートレーの作品もまた、ここで「完成形」としてではなく、問いを含んだ状態で紹介された。291を通じて、彼の表現は限られた個人の経験から、共有可能なものへと変わっていく。ハートレーは291で育てられたというより、291によって、同時代のアメリカにおいて“読まれる存在”になったのである。
291は、美術館でも学校でもなかった。美術館のように価値を確定させる制度を持たず、学校のように教育を目的とするわけでもない。また、純粋な商業ギャラリーのように市場だけを見ていたわけでもなかった。
だからこそ291では、美術館には早すぎ、学校では教えられず、市場では理解されにくい表現が、そのまま展示された。291は、現代アートが制度化される前の、不安定で流動的な時間を引き受ける場だったのである。

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さらに、スティーグリッツが行ったのは、作品を売ることだけではなかった。彼が整えたのは、作品を見る態度であり、それを語る言葉であり、作家同士が影響し合う関係性だった。
291では、写真と絵画、アメリカとヨーロッパ、完成と実験が、同じ空間に置かれた。スティーグリッツは作家を前面に押し出すのではなく、環境そのものを設計することで、アメリカに現代アートが根づく条件をつくっていったのである。
MoMAに写真部門が設立されるのは1940年のことだ。それ以前から、291では写真も前衛美術も展示されていた。美術館がそれらを収蔵し、制度として引き継ぐ前に、すでに実験は繰り返されていたのである。
アメリカの現代アートは、美術館によって発見されたのではない。291のような場で試され、失敗し、共有された時間を経て、ようやく制度に受け取られた。その前史を支えた存在として、スティーグリッツと291は位置づけられるべきだろう。

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終章|根を下ろした現代アート
ヨーロッパで生まれた前衛美術は、そのままアメリカに移植されたわけではない。291という場を通じて翻訳され、アメリカの文脈の中で意味を持ちはじめた。ハートレーは、その過程を象徴する作家の一人だった。
スティーグリッツが残した最大の功績は、天才を生んだことではなく、可能性が定着する前の時間を支えたことにある。現代アートがアメリカに根を下ろすまでの、その不確かな瞬間を、291は確かに照らしていた。

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※ 本稿の前半(第1章〜4章)は、こちらからご覧ください。


