野村浩
Hiroshi Nomura
RIVORA ART T-Shirts vol.12となるAutumn Winter Collection 2025では、現代美術家の野村浩の作品 “Merandi” から2作品、新シリーズ "KUDAN” から2作品を、プリントに刺繍を加えた立体感のある技法で表現しました。

コラボPart 2となる今回は、“KUDAN” を中心にお話しをしたいと思います。
野村浩の油画作品 “KUDAN” 。読み方はそのまま「くだん」です。この言葉、聞き慣れないという方もいれば、使っているという方もいると思いますが、まずは、この言葉の意味を確認するところから、野村ワールドに迷い込んでいきたいと思います。
「くだん」とは【前に言ったこと、例の〜、話題の〜】の意で、「あれ、あれ、くだんのあれだよ」といった使い方をする言葉です。スッとでてこないのだけれど、「あれ」と言えばなんとなく相手に伝わるまさにアレです。
この言葉、漢字で書くと「件」となります。人偏に牛と書いて「くだん」。
江戸時代の記録に件に関する記述あり、そこには頭が牛で体が人の格好をした妖怪が描かれ、これから起こる出来事を予言をしたと伝えられています。この摩訶不思議な容姿がそのまま文字になったというわけです。
ところで、江戸時代には30回を超える飢饉が起きました。件が行う予言の多くも災害や疫病といったものでした。世の中が不安な状況にあるときに現れる妖怪、それが件です。
では本題の野村浩の“ KUDAN ”はどうでしょうか?
まず、気が付くのは頭は牛だということです。
さらに、二足でスクっと立ち上がるその体は人のようでもあり、つまりは件と逆の姿をしています。

野村浩 作品集『KUDAN』
作品集『KUDAN』は、このKUDANの姿を描いた1枚から始まります。
突如として平地に現れたKUDANは、棒立ちで、どこか心許なさを覚えさせます。
ここはどこでしょうか?
よく見ていくと、横の木の枝には一羽の青い鳥がとまっていることにも気が付きます。
彩度の高い美しいブルー。それは、風景になんとなく描きこまれたわけではありません。
この鳥は「某(なにがし)」と名を与えられており、野村浩によればこの青い鳥は、今では別の名前に変わった、あのSNSのモチーフからきたのだそう。確かに、あのSNSの空間に集うのは匿名の誰か「某〇〇」としての私たちです。この某は、KUDANを追って作品集の途中まで登場します。
それにしても、KUDANから受ける印象は、江戸の妖怪「件」とはだいぶ異なります。
KUDANはどこか不安げで、所在なさげで、とても不安定に見えるのです。
もしかすると、KUDANは件とは違う理由で生まれてきたのかもしれません。
推理を一足飛びに結論から申し上げると、KUDANの周りを飛び回るたくさんの某が、
KUDANを誕生させたと考えてみるのはどうでしょう。
某はいつも「あの件」について話しています。本日のトレンドは「#あれ」で「47,010件のポスト」といった具合です。こうして某らによる無数のつぶやきが生み出したのが、KUDANという存在だとしたら…。
江戸時代の妖怪の件は予言獣であり、自らが発信源でした。それが、一転、47,010件の「あれ」の蓄積であるKUDANは、いつからはじまったのかもわからない、しかも、かなり曖昧な情報として流布するような、「あれ」なのですから、自分が何者で、なぜここにいるのかさえわからないのかもしれません。作品集の冒頭にある登場シーンの所在なさも、どうして自分がここにいるのかわからないという混乱を描いたものと考えられますし、そうであれば、妖怪の件と、頭と体が逆転しているのも納得です。

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作品集の中でKUDANは、風景に溶け込んだり姿が一部見えなくなったりしながらも町を彷徨います。姿が消えかけても、そこにKUDANがいるとわかるのは、「目」だけは消えていないからです。そして作品集の中盤に、放浪のKUDANは本を手に取るようになります。
色とりどりの本を手にしたKUDANの上半身だけが描かれたその作品からは、周りを飛び回っていた某の存在は消えています。某のつぶやきではなく、本から情報を取り入れているのでしょうか。その姿はどこか現代人のそれとも重なるようで、応援したい気持ちが湧いてきます。どんな「#あれ」が生み出したKUDANだかわかりませんから、安易に感情移入するのは危ないことかもしれませんが…。
さて、作品集を通じて“ KUDAN ”をご紹介してきましたが、ここから想像される物語にはキリがなさそうです。
優れた美術作品の多くがそうであるように、油画作品としての “ KUDAN ”もまた、解釈をひとつとさせない多義的な作品であり、 見る人によって、あるいは見るタイミングによって見え方が変わるという魅力があります。

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“ Merandi ” から“ KUDAN ”へと、油画作品を展開し続ける野村浩ですが、両作に共通するのはやはり「目」のモチーフです。
モランディ風の静物画に「目」が入り込んだ、目を持つ絵画である“ Merandi ”は、絵画という完成されたひとつの別世界からこちら側が見つめられることで、私たちの常識が揺さぶられる作品でした。
それに対して“ KUDAN ” は私たちの生活空間を舞台にしています。実際に、本シリーズにはどこか見覚えのある風景が数多く登場しており、「ここって、どこどこですよね?」と野村に尋ねる人も多いそう。しかし、そうした物理的空間だけでなく、某の存在からも伝わるように、“ KUDAN ” は私たちと同じ社会を共有する、こちら側を描いた作品です。
そして、本作で「目」を持つ者はKUDANです。それが横を向けば描かれる「目」もひとつ。
ときに風景の中に溶け込み「目」だけの存在になって、あちこちに現れるので、思わず「目」を探すようにして観てしまうのですが、それこそが野村浩が意図的に仕掛けた罠なのかもしれません。まんまと捕まった私たちは、“ KUDAN ”で KUDANつまり「目」を探した後は、この社会にもKUDANの存在を感じずにはいられなくなってしまうのです。
そういう意味で、“ KUDAN ”は“ Merandi ”よりも一層危険なアートです。
捕えられた私たちをどこへ連れて行こうというのでしょうか。
この作家が創り出す世界の奥深さを測り知るには、まだまだ時間がかかりそうです。
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Part 1 の記事では、現代美術家、野村浩のデビュー作、そして “ Merandi ” についてご紹介しておりますので、こちらもぜひお願いいたします。

Hiroshi Nomura Exhibition “RUINDAKU " 展示風景 2025年5月17日より開催の個展会場にて撮影
RIVORA ART T-SHIRTS 2025AW
with Hiroshi Nomura "Menrandi " and "KUDAN"
Project Partner : POETIC SCAPE
野村浩
1995年、東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。写真と絵画を中心に複数のメディアを横断しながら作品発表をしている。
2018年には写真とカメラにまつわる ”写真論”コミック本「CAMERAer」を上梓。2024年はその続編となる”絵画論”コミック本「Painter」を発表し、同名の個展(POETIC SCAPE/東京)を開催した。また「暗くて明るいカメラーの部屋」展(横浜市民ギャラリーあざみ野/2019)、その巡回展にあたる「相机人的明暗室」展(A4 Art Museum/成都、中国/2019)ではゲストキュレーターも務めている。
主な個展に「THE GENESIS OF THE EXDORA WORLD」(Taka Ishii Gallery/東京/1997)、「目印商品」(LOGOS GALLERY/東京/2008)、「Merandi」(POETIC SCAPE/東京/2020)など多数。海外の展示では、「PHOTOESPAÑA 2012 Asia Serendipity(スペイン/2002)、Belfast Photo Festival(北アイルランド/2019)などがある。主な著書に「EYES」(赤々舎/2007)、「Slash」(N/T WORKS/2010)など。キヤノン写真新世紀公募優秀賞(第3回/1992、第5回/1993)、第31回写真の会賞(2019)受賞
2011年、東京・中目黒に写真専門ギャラリーとして開廊。「写真の概念の拡張」と「日本の写真マーケットの拡大」をミッションに掲げ活動してきました。ギャラリーでは、若手や中堅作家によるコンテンポラリーな表現から有名作家の歴史的名作まで幅広いプログラムを企画しています。また、写真を軸に据えながらも、近年は写真以外の作品にもキュレーションの幅を広げています。ギャラリー奥に併設されたストアでは、作品集や写真論に関する書籍などを販売、また写真や絵画作品の額装も行っており、小さいスペースながらアート・写真に関わる総合的なサポートを行うことを目指しています。