野村浩
Hiroshi Nomura
RIVORA ART T-Shirts vol.10となるAutumn Winter Collection 2024では、現代美術家の野村浩の作品 “Merandi” と題された油画シリーズから4作品を、プリントに加えて刺繍という立体感のある技法を交えた、いつもと違ったコラボレーションでお届けいたします。
本作 “Merandi" は野村浩による油画作品です。
この絵を見ると、まず、そこに描きこまれた「目」と、文字通り目が合います。ですが、彼/彼女ら(と言ってよいのでしょうか?)は無表情で、日頃私たちが交わしているアイコンタクトという無言のコミュニケーションを図ろうにも、うまくいきません。何を考えているのかまったくわからないのです。出会った瞬間は、「かわいい!」と感じたはずの彼/彼女らは、次第に、私たちを戸惑いへと導く存在へと変わっていきます。
この体験は何かにとても似ています。そう、それは生成系AIとのコミュニケーションに感じるそれです。たとえば、ある日本語の文章を英訳してほしいとAIに依頼した際、別の箇所を英訳されて会話が成り立たない。状況に応じて次はこうという、人の期待通りには動いてくれないロボットたち。痒いところには手が届かない。「やっぱり人とは違うな」と感じるわけです。
我々人間はAIに対して人間を期待する。一方で、近づき過ぎれば脅威を覚える。今は答えは出ないけれども、より人間 ( 人間というモデルのあり様をいかに想定しているかも、偏見に満ちているのだが ) に近づけようとする動きは、現在進行形で加速しています。
この時代にあって、野村浩は重要な作家です。
ここからは、野村浩の「目」というテーマを中心に、作家の来歴にも触れながら一緒にみていきたいと思います。
野村浩は、90年代前半から「目」というモチーフを自身の作品に取り込んできました。それも、白目と黒目だけで表現された漫画のように単純化された「目」をです。
Hiroshi Nomura From the series , “Merandi " こちらは原画のイメージ。RIVORAで作成したTシャツでは、油絵の具のマチエールに着目し「目」のある四角いモチーフを刺繍で表現し、ひび割れなども再現を試みている。
この “Merandi ” というタイトルの「Me」とは「目」のことであり、アートに詳しい方であれば、もうお気づきかもしれませんが、20世紀静物画の最重要人物である画家ジョルジョ・モランディ(Giorgio Morandi)の画風がモチーフとなっています。いわば、ひとつのパロディであり、モランディ風の静物画に「目」が描きこまれた。だから、“Merandi”というわけです。
そう、野村浩はとても面白くてユニークな人なのです!
この“Merandi” の愛らしさといったら…。もしも、この絵が家に飾ってあったら、なんとも素敵ではないでしょうか。 事実、2020年というコロナ禍でひっそりと開催された個展で、作品が完売したのも納得です。
でも、この作品はかわいいだけではありません。
まず「目」のモチーフは90年代からはじめたと作家は言います。
1995年に東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻を修了した野村は、現代美術家としてこれまでも数々の作品を発表してきましたが、“ Merandi " 以前は、油画作品の大々的な発表はほとんどしてきませんでした。
実は、野村浩が最初に世の中に紹介されたとき、その作品は写真を用いて作成されたものでした。
そのため、野村浩を調べると写真家という紹介も出てくると思います。
Hiroshi Nomura From the series , “EXDORA " 野村浩が大学生だった1991年に創設された写真作品の公募コンペ、キヤノン写真新世紀の第1回に、「エキスドラ」を、第2回に「ドランキライザー」で応募し共に佳作を受賞した。
90年代のはじめ、東京藝大に入学した野村を待っていたのは、絵が求められていない、という現状でした。そして野村自身も、必ずしも絵を描きたいわけでもありませんでした。より正確に言えば、絵を描くという手段がベストなのかを模索していたというべきかもしれません。
たとえば、医学部に入学する学生は医者になるために医学を学びます。
こんな当たり前のようなことが、当てはまらないのがアートの世界なのでしょうか。
美術史を振り返れば、70年代前半は「もの派」が出てきて、ギャラリーには石や板が展示される、そんな時代でした。画家自らが描くことをやめ、あるいは禁じ、それでも作品はつくりだそうとする、絶対矛盾の空気感が充満し、その状況は、画家の宇佐美圭司に『絵画論−描くことの復権』を書かせるに至ります。それが1980年のことです。その中で宇佐美は当時の教え子たちを「失画症」だと診断しています。敏感な学生ほどそれに陥るのだと語りました。
そこから10年。藝大の、とにかく画力が求められる油画の入試をパスした野村は当時の状況を次の様に話してくれました。
「入学したけれど、画家になりたいのかと思うとわからなくなった。表現する主体として生きることは決まっていたけれど、油画科だから油画? それでいいのかと疑問を覚えました。そう思っていたところに、おまえたちはそれでいいのか?という学校側の導きがある。なので、まずは自分のメディウム(表現媒体)を考えるところから始まりました。」
Hiroshi Nomura From the series , “EXDORA " 野村浩が大学生だった1991年に創設された写真作品の公募コンペ、キヤノン写真新世紀の第1回に、「エキスドラ」を、第2回に「ドランキライザー」で応募し共に佳作を受賞した。
それで、油画ではなく写真で表現しているのか、と思われるかもしれませんが、そういう話ではないようです。
「写真に行き着いたのは偶然です。単純な平面作品(絵)は描けない。なので、ここに写っている何かに見えるキャラ、 “エキスドラ ”という形の絵(シェイプトキャンバス)を作ったつもりでした。大学は上野にキャンバスがあって、公園もある。“エキスドラ ”を運び出して記録しようという単純な衝動で外へ出したのです。そうすると、一枚絵としての風景になることに気がついた。“エキスドラ ”は溶け込んでいるようで溶け込まない。同居しているというか等価な状態に見えて、これは面白いぞ、となりました。」
つまり、写真が持つ記録性を期待して写真を撮りはじめたわけです。同時に、こうして得られた1枚の写真を「作品」とみなそうという風が、当時の美術界に吹いていたことも野村を後押ししました。1990年代はまさに写真が新しいアートの手段として注目されていた時代でした。一方で、この“エキスドラ”とはいったい何者なのか、この点はもう少し本人の話を聞く必要がありそうです。
「当時、まだ美術の世界ではキャラクターというのは市民権がなかった。受け入れてもらえない風潮がありました。でも、僕にはリアリティがあったし、それまでの時代の表現とは違った何かを作れると感じていました。」
国民的な漫画、アニメでもあるあのキャラクターに似ているようで似ていない。
似て非なる何者かの形の絵が出没するさまざまな風景を、当時コンビニに置かれはじめたばかりのコピー機を使って複製し、一冊の手製のブックにする。モノトーンで刷り出された荒い画像が、かえってエキスドラと背景とを「等価な状態」へと見せてくれる。でも溶け込まない違和感。ここに野村は面白さを覚えたと語ります。
こうして誕生した「エキスドラ」のシリーズで野村は、当時できたばかりのコンペ、キヤノン写真新世紀に期待の新人作家として入賞を繰り返し、デビューしていきました。
すでにこの頃から、“Merandi”へと繋がる「似て非なるもの」という特徴が現れていることはとても興味深いです。「エキスドラ」は、よく知ったキャラクターがいつもの風景にいることから生じたことで怒る異化効果に優れた作品というだけではなく、実はよく知った気でいるキャラクターだと思い込む、私たちの認知そのものに揺さぶりをかけた、ギリギリのパロディという緊張感のある作品なのです。
Hiroshi Nomura From the series , “Merandi " 実際の原画では、目の周辺にあるボトルはグレーだった。今回のコラボレーションに当たっって、グレーの色彩に少し感じられた紫の要素を引き出し、刺繍で演出させてもらった。
野村浩は、人の認知のアバウトさに警笛を鳴らしているのか、それともそれが人というものだと肯定しているのでしょうか?
やがて、キャラを突き詰めていった結果、もっと単純化して良いのではとの思いから、最終的に野村が至ったモチーフが「目」でした。だからこそ、野村の「目」は白目と黒目だけで表現された漫画みたいな描かれ方をしているのかもしれません。
「エキスドラ」以降の作品は、この「目」を通じ、私たちの認知にさらなる揺さぶりをかけてくるものでした。その作品のすべてを紹介することはここではむずかしいのですが、最後に皆さんと考えたいことは、その「目」として先鋭化されたキャラクターがどこにいるのかということです。
「“Merandi”はそういうキャラクターが描かれた絵ではなく、絵自体が「目」を持っているということです。」
一見、描かれたボトル一本に命が宿っているかのように見えるこの絵も、よく見ればボトルに沿って描かれているのではなく、あくまでも平面、平行に平べったく描かれていることに気がつきます。
だからこそ、私たちはこの絵と目が合うわけです。
つまり、私たちはこの絵に見られている。
しかも何を考えているのかまったく読み取ることのできない何かである、その「目」で。
本当に、ただかわいいだけではない絵です。
これを描く野村浩は、どちらの側にいるのでしょうか?
いずれにしても、この、絵の方から見られる私にあなたが覚えたであろう、背筋のゾクっとする感覚は、いやがおうにも、21世紀のリアリティになるということは間違いなさそうです。
冒頭に申し上げたAIに対する感覚を、野村の創造する世界と合わせて考えてみると、人がそれを人に近づけようと努力してるけれど、ひょっとするとAIの方からその姿を観察されているのではないか、というイメージが湧いてきます。AIが人を超え、代替する存在となっていく。つきつめればAIを管理するのではなく、AIが人を管理する社会がくるかもしれない…。
近いうちに、私たちが直面するであろう、本物に近いAIと共生する社会を、野村浩の作品は想像させてくれるように感じます。
だからこそ、敏感なアーティストという存在に、時に、私たちは頼りたくなるのだと思います。
その「目」には何がどんな風に写っているのか。野村浩の今後の活動にも「目」が離せません。
RIVORA ART T-SHIRTS 2024AW
with Hiroshi Nomura "Menrandi "
Project Partner : POETIC SCAPE
野村浩
1995年、東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。写真と絵画を中心に複数のメディアを横断しながら作品発表をしている。
2018年には写真とカメラにまつわる ”写真論”コミック本「CAMERAer」を上梓。2024年はその続編となる”絵画論”コミック本「Painter」を発表し、同名の個展(POETIC SCAPE/東京)を開催した。また「暗くて明るいカメラーの部屋」展(横浜市民ギャラリーあざみ野/2019)、その巡回展にあたる「相机人的明暗室」展(A4 Art Museum/成都、中国/2019)ではゲストキュレーターも務めている。
主な個展に「THE GENESIS OF THE EXDORA WORLD」(Taka Ishii Gallery/東京/1997)、「目印商品」(LOGOS GALLERY/東京/2008)、「Merandi」(POETIC SCAPE/東京/2020)など多数。海外の展示では、「PHOTOESPAÑA 2012 Asia Serendipity(スペイン/2002)、Belfast Photo Festival(北アイルランド/2019)などがある。主な著書に「EYES」(赤々舎/2007)、「Slash」(N/T WORKS/2010)など。キヤノン写真新世紀公募優秀賞(第3回/1992、第5回/1993)、第31回写真の会賞(2019)受賞
2011年、東京・中目黒に写真専門ギャラリーとして開廊。「写真の概念の拡張」と「日本の写真マーケットの拡大」をミッションに掲げ活動してきました。ギャラリーでは、若手や中堅作家によるコンテンポラリーな表現から有名作家の歴史的名作まで幅広いプログラムを企画しています。また、写真を軸に据えながらも、近年は写真以外の作品にもキュレーションの幅を広げています。ギャラリー奥に併設されたストアでは、作品集や写真論に関する書籍などを販売、また写真や絵画作品の額装も行っており、小さいスペースながらアート・写真に関わる総合的なサポートを行うことを目指しています。