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Kotaro HOSHIYAMA

PART 2  Autumn Winter 2022

NAKED

 今回の3作品は 、いずれも個展 "NAKED" から選んだ作品である。美術で "NAKED" と聞けば「裸婦」というテーマかと思いきや、星山がこの言葉に込めた真の意味は、自分自身を赤裸々に語ることだという。特定のモデルを描くのではなく、自由自在に描ける対象として創造された女性たちや、コロナ禍に描き続ける自らの日常を通じて、作家自身を語る作品群である。

 女性の肖像を描いた作品は、「他者への認識がいかに主観の中で構成された断片的なものかを問い、その多様性を追求」すると説明される。これは、星山が特定のモデルを通じて描いてきたひとつの大きなテーマである。しかし、今回の "NAKED" では、星山は新しい境地に辿り着いたように感じられた。特定のモデルから離れたことで、どこの誰という特定ができなくなった。そのため鑑賞する側の私たちは、見る者であると同時に見られる者にもなった。なぜなら、アノニマスな他者という存在は、翻って自分自身である可能性を捨てきれないものなのだから。
 こうして、私たちはソワソワしながら「他者を自分はどう見ているのか?」「他者に自分はどう見られるのだろうか?」という二つの問いを反芻し、その絵から目が離せなくなるのである。星山耕太郎は“NAKED” を描いたことで、もはや他人事のようには見られない、これまで以上に鑑賞者を巻き込む絵画へと進化し、人の心に踏み込んだ。

 一方で "NAKED" には、画家星山耕太郎が日頃目にしている「洗面台」や「画材道具」なども登場する。今回のTシャツで紹介しきれなかったのは惜しいのだが、ここでは、より鮮明に自らを赤裸々に語ろうとしていることが読み取れる。というのも、この画題は画家、星山耕太郎にとって切実な問題、「画家」という職業を問うモノだからである。
 どんな仕事にも「歴史」が存在する。そこまで言わなくても「背景」や「流れ」がある。その流れの中で、自身が今どこにいるのかを常にどこか高い地点から確認しながら、自らをどの道へと導こうとするのかを考え、試行錯誤する。その流れに自分はコミットメントできるのか/したいのか、できないのか/したくないのか。職業性と自分という個との間に同一性を感じることは、実にむずかしいことではないだろうか。ましてや、美術/画業というのは長い歴史の上に成り立っている。だからこそ、この難題を「Psychological Collage」で表現することは、肖像と同じように、複数あり多様にあるはずの「在り方」に対する、これまで・今・これからの葛藤を伝える必然的な方法だったのだろう。肖像画以上に不均衡にひしめき合う画面は画家の心の風景のようでもあり、それに共感できるすべての人にとっての、日常を表している。

 みなさんは、星山耕太郎の絵画に何を感じるだろうか?

PART 1 Spring Summer 2022

新しい肖像の時代

 星山耕太郎の「サイコロジカル・コラージュ」をはじめて見たときの衝撃を誰かに共有したい、という思いが、今回のコラボレーションにつながりました。

描いているのは著名なアーティストの顔ですが、四角い画面を分割し、それぞれのコマが全て異なる絵画的技法で表現されています。

まず、驚くのはこれらの絵画を星山一人で描いているという点です。クラシックのピアニストがジャズを弾き熟すことが難しいように、絵にも同じことが当てはまるのではないでしょうか。しかし、星山はまるで自由に音楽を奏でるように、さまざまな技法を自在に操り、最終的に素晴らしい一作にまとめ上げています。​そして、もうひとつの驚きは、たとえば絵が4分割の場合、4枚の絵を描いたあとに再統合しているのではないということです。

つい、テクニカルなことに目がいってしまうのですが、このART T-Shirtsという場で、星山の作品を今すぐ見てもらいたい理由は、肖像画(ポートレート)が今、非常に重要な局面を迎えているということ。言い換えれば、現代アートのなかで、肖像画が必然的なテーマになっているということがあります。

歴史的な話をすれば、かつて肖像画家が写真の発明によって時代から退きました。肖像画家が活躍した時代、描かれるのは名家の人々でした。一方で写真の時代が捉えてきたのはセレブリティたちです。複製メディアである写真は、こうして大量のセレブリティたちのイメージを流通させ、消費させてきました。見慣れて記号化したポートレート写真は、その人物に一定のイメージを押し付けてしまうものかもしれません。

星山は、そうした記号化する肖像の群れをかき分けるように現れました。

彼が選ぶのは、自身が影響を受けた人物たちですが、たとえばJimi Hendrixの顔を4分割で描くのは、ひとつの側面だけではJimi Hendrixを捉えたことにならないから。ひとにはさまざまな顔があることを星山は繰り返し筆で表現しています。星山の絵が魅力的なのは、その背景に、ひとはひとに影響を与え合いながら生きていくということが、ストレートに込められているからなのかもしれません。特に、今、マスクで顔を半分奪われた世界を生きている私たちにとって、ますます星山の絵画の持つ意味は際立っているように感じます。

新しい肖像の時代の訪れを、星山の登場に覚えずにはいられません。

星山耕太郎

1979年東京都生まれ。

多摩美術大学にて日本画を専攻。

企業広告デザイナーを経て、2010年の初個展を機に作家活動を始める。

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